『フラワー・オブ・ライフ』

よしながふみの漫画は商業誌で発表されたものはだいたい読んでいる。同人誌のものはよく知らない。両者の関係が気になるところ。
本作は相変わらず楽しい、というか、自分がこれまで読んだなかで、もっとも笑えるよしなが作品だった。しかも、たんに愉快な作品で終わることなく、最終的には、主なキャラクターのささやかだけど決定的な内面的成長を描ききり、青春ものとして鮮やかにまとめられている*1
最大の仕掛けは主人公・春太郎の病気の真実。古くさいドラマなどでは死をもろに連想させる白血病だが、この作品では単純に死を意味することはなく、生と死の確率論的な関係が強調されるところが面白い。「5年以内に死ぬ確率が10%」の春太郎は、たしかに同年代の常人より死に近いという意味で恵まれてないが、ただし、その時間や濃度を認識することによって、より生が充実することもあるだろうと思わせるような描き方がされている。ことによっては細かすぎて、劇的さを減退させかねないが、「全快したと思いきや、じつは余命わずか」というような単純な逆転を避けたこの描き方はとても現代的だし、よしながふみらしい上品さ、慎ましさを感じさせる。締めくくりは桜が舞うなか、春太郎と翔太が歩く場面。最後から二つ目の見開きの右ページでは二人が、そして左ページは春太郎がひとり、右ページよりもやや胸を張って歩いている。春太郎の孤独と自立を表した美しい場面だ。
ところで、単行本化の際に、こういう改稿(http://d.hatena.ne.jp/eggmoon/20070602)がされているんですね。P136、137の各下段に新たなコマが加えられている。そのため、その後1ページずつズレているんで、大胆な変更といっていいんじゃないでしょうか。そしてやはり変更後のほうがいい。「ベンキョしなきゃ」という転換のコマは、ページをめくったときに現れるべきだし、回想場面も見開きに収まっていると気持ちいい。*2

フラワー・オブ・ライフ (1) (ウィングス・コミックス)

フラワー・オブ・ライフ (1) (ウィングス・コミックス)

*1:欲を言えば、武田さんの恋も描いてほしかった。

*2:ただ、上のエントリーで、ひとつ気になったのは、P137の5コマ目のさくらの表情の解釈。父親に対して「約束を破ったのがバレた」あるいは「しまった」と思っているとのことですが、これはもっと単純、端的に「我に返った」ことを示しているんじゃないでしょうか。さくらが本当に恐れているのは約束を破ることというより、春太郎を傷つけてしまうことであり、また、実際、騒ぎを聞きつけてやってきた父親は、その時点で事態を把握できず、P139の2コマ目でようやく約束が破られたことに気づいています。ようするに、さくらは目の前の春太郎との対関係で頭が一杯になっていたわけですが、父親の姿を見ることによって、それを突然相対化してしまい、続いて「約束を思い出した」ということだと思います。こういうときに瞳孔が閉じるものなのかは分かりませんが、いずれにしても、この空っぽな表情はさくらの二つの心情を繋ぐ重要な役割を果たしていますね。

[追記]

下の脚注2にコメント(ttp://d.hatena.ne.jp/eggmoon/20070724)をいただいたので、それに絡めて気づいたことを補足します。
自分はP137の5コマ目をさくらの意識が春太郎との対関係から父親を含めた家族関係に移るための繋ぎとも考えていました。ところが、直後の展開では、さくらの関心は「家族関係」というより「親子(父娘)関係」のほうにあるように見えるんですよね。つまり、さくらは父親には謝る一方、春太郎を無視してしまっている。そして、春太郎に謝るのはなんと50ページ後のP186なんですね。時系列は入れ替えてないようなので、これはやはりそれなりの時が経ってからの場面なのでしょう。
では、さくらはなぜ、すぐに謝らなかった(謝れなかった)のか? eggmoonさんは「『春太郎を一番傷つけるのは、真実を告げること』だとわかっていたからこそ、確信犯(←誤用)で言っちゃった」と指摘しているのですが、これはたしかにその通りで、その点、「さくらが本当に恐れているのは約束を破ることというより、春太郎を傷つけてしまうこと」という自分の解釈は一面的なんですね。なぜなら、さくらは春太郎をたんに傷つけたくないだけではなく、同時に、愛しているから自分の気持ちを知ってもらいたかったし、それを知らない春太郎に苛立ったし、春太郎を傷つけてでも真実を告げたいという衝動を抑えられなかった、といえるからです。その「衝動」を遅れて自覚しつつも、動揺のあまり、自分のなかで整理できなかったのであれば(そして実際、隠し事をすることによって負担を強いられていたのであれば)、さくらがすぐに春太郎に謝ることができなかったのも仕方ない。
ただし、考えてみると、あの決定的な告知の後で、春太郎本人にではなく、隠し事を共有していた父親に謝るのもおかしな話です。となると、あれは春太郎への間接的な謝罪なのかなとも思えるんですが、まあそれは深読みかもしれないし、そもそも僕自身が告知されないことを好まない性格だからかもしれません。