三谷幸喜原作/脚本映画『笑の大学』

笑の大学』は大平洋戦争直前の1940年、警視庁取調室が主な舞台。検閲官と喜劇作家が、上演許可をめぐり、台本について押し問答を重ねるうちに、共作関係を築くようになる。果たしてどのような台本が生まれるのか──みたいな話。原作・脚本は三谷幸喜。もともとは1996年初演の舞台作品で、当時かなり評判だったらしい。未見なので推測だけど、本作はこの舞台を忠実に映画化した作品ではないだろうか*1
ほとんど密室の二人劇なので、基本的な見どころは役所広司稲垣吾郎の演技。稲垣の誠実そうな物腰もいいけど、役所の存在感とキャラの繊細かつダイナミックな変化に目を引かれる。とくに、生まれてから一度も笑ったことがないといいながら、喜劇の共作に夢中で、どんどんハイになっていくシーンが素晴らしい。このときの役所のイッちゃった表情やアクションだけでも見る価値がある。
さて、設定上、バリエーション豊かな映画的演出を求めるのは酷なのだろう。監督の星護も当初仕事を受けるのを躊躇したらしい。にもかかわらず、最後まで飽きずに見られるのは、役者もそうだけど、やはり、脚本の牽引力が大きい。一言でいえば、三谷幸喜らしい映画になるべくしてなったというべきなのだろう。
それにしても僕は、彼がこのように、「喜劇とは何か」「笑いとは何か」、そして「表現とは何か」といった本質的な問いを前面に出す作家だとは思っていなかった。この作品には、「権力に屈するくらいなら筆を折るべきだ」という立場と、「たとえ検閲されても発表しうる表現を模索すべきだ」という立場の対立があった。もちろん稲垣演じる椿一、つまり三谷は後者の立場だ。では、三谷はなぜ、そのような立場を選択するのだろうか?
物語の終盤、検閲官の逆鱗に触れた椿は、「笑いのない喜劇を一晩で書け」という理不尽な要求に、それまで以上に笑える傑作を仕上げることで応える。いささか現実離れした展開とはいえ、ここでは、椿の作家(職人)根性や才能そのものではなく、それが一人の検閲官の心を動かすという点に注目すべきだろう。とはいえ二人は一方で、国家に対して無力だった。さんざんやりあった二人が、結局国家という大きな構造に支配されているという点が、結末を劇的かつ現実的、そして多少シニカルにしている。
ちなみに密室で二人が喜劇を練り上げるといえば、松本人志の『VISUALBUM』に収録された「いきなりダイヤモンド」もそう。ただし、舞台は取調室ではなく監獄。より密室的で、テーマも漫才論に絞られており、壁に描かれた大衆に向かって漫才するラスト・シーンが不気味だった。三谷は松本の笑いをどう考えているのだろうか*2

*1:後記=実際にはエンディングを足しているらしいです。

*2:さらに追記=そういえばテレビ朝日で『VISUALBUM』の数本が放送されたことがある。三谷はそのとき、たしか同シリーズについて、「役者がすごい」「僕にももしかすると同じレベルのものは書けるかもしれないけど、それが最終的に同じレベルの作品になるとはかぎらない」というようなことを語っていた。たしかに松本のコントには独特の緊張感が漲っているのだけど、それは気心の知れた演者やスタッフと設定を事前に練り上げ、集中力を高め、アドリブ上等で本番に挑んでいるからなのだろう。ただし、DVDに収録された特典映像によると「いきなりダイヤモンド」は撮り直しが少なくない。