『3年B組金八先生』を見て考える

現実世界では見たこともないし、残念ながらやったこともないのだけど、ひと昔前のテレビドラマでは、若いカップルが果物でキャッチボールするという演出があったような気がする。果物は若さの象徴だったのだ。たとえば『ふぞろいの林檎たち』のオープニングは青空をバックに、何度も舞う(放り投げられる)林檎から始まっていた。そんな演出はしばらく目にしていないような気がしていたのだけど、前々回放送の『3年B組金八先生』のラストでは、キャッチボールとまではいかないにせよ、林檎を介してコミュニケーションが成立するという貴重な瞬間を目撃することができた。
そのシーンで相対するのは、父親は交通事故で寝たきり、母親はノイローゼ気味で何かあるとすぐ暴力を振るうという酷い家庭環境にあり、だれにも心を開かない少年と、“第2の上戸彩”が演じる発達障害の少女。クラスののけ者と人気者、無口同士の交流だ。なんだかホッとする。他のドラマならともかく、『金八』なら、そんな前時代的な演出が許せてしまう。
さて、今週の『金八』では世代間断絶がテーマになっていた。初回から生徒たちのガキっぽさは幾度となく強調されていたのだけど、文化祭の出し物をめぐるあれこれで、今回、金八はとうとうキレてしまった。とはいえそこは経験豊富で老獪な教師。昂る感情を抑え、ひとりひとりを諭すように説教し、反省を促し、彼らが心を入れ替えることを期待して、生徒たちを残し、教室をあとにするのだ。そして、その直後、保健室で同僚に「ちょっとやりすぎたかな。今の子は謝ることに慣れてないだろうし」とホンネを漏らし、いそいそと教室に戻る。だが、しょんぼりしているであろう生徒たちを元気づけてやろうという感じで明るくドアを開ける金八を待ち受けていたのは、無人の教室だったのだ。愕然としてへたり込む金八。はたして生徒たちは何もかも放棄してしまったのだろうか──。という結末。
ただし、今後のドンデン返しはちょっと目に浮かんでしまう。今回はなぜか次週予告がなかったのだけど、おそらく来週は、河原か校庭で目の色を変えて出し物の練習をする生徒たちの姿を発見し、瞳を潤ませる金八の姿を見られるのではないだろうか。
けれども、おそらく現実はもっと救いようがない。今どきの中学生にとってクラス全員でやることになっている文化祭の出し物など、やらされてやる以外のなにものでもないのではないか*1。また、それと関連して今回頻出した「年上を敬え」というメッセージも、突き詰めれば論理的に説明できるようなものではない以上、金八の説教はどこか空々しく聞こえてしまう。実際、最近の日本人は、年上だからという理由だけで尊敬する傾向が弱くなっている気がする。でもそれはまあ僕の思い込みかもしれない。それにそもそも、「すべての年上は敬うべきである」という命題が正しいかどうかはともかく、自分の人生、自分の所属する共同体が、いかにさまざまな人の力によって支えられているかを理解することは、今回金八が実践したように、そういったひとたちを具体的な個人として認識することから始まるという教育方針は間違っていないとも思う。
ともあれ、金八の熱意と説教はいずれ効果を発揮するのだろう。こうした「健全さ」はこのご時世、逆に貴重なのかもしれない。

*1:その点、たとえば『リリイ・シュシュのすべて』の合唱コンクールの逸話のほうがはるかにリアルだ。