左側に気をつけろ?

昨日の「恋のから騒ぎ」で「男は本命の女を左側に座らせたがる」という話題が挙がった。おいおいと思いきや、スタジオにはすぐに「左が無意識(本音)で、右が意識(建前)なんだよね」と相づちを打つやつが現れ、さらに「おれはいつも右やで!」(さんま)と盛り上がっていた。
うーむ。この法則が正しいとして、しかも女にも適用しうるものだとすれば、互いに無意識に相手を左に座らせたがっているカップルは、結果がどういう並びであれ、本命同士ということになるだろう。いわば動物的仲良しだ。
では、仮にどちらか一方が法則に意識的であり、さらに相手にとっての本命でありたい場合、彼(彼女)は積極的に相手の左側に収まろうとするだろうか? おそらく、そんなことはない。彼(彼女)は自ら決定を下すことなく、相手の行動に従いつつ(従うフリをしつつ)、その無意識の欲望を冷静に見定めようとするだろう。これは主人とペットの関係みたいなものだ。もちろん法則に意識的な方が主人。ただし、主人といっても、彼(彼女)は、座り位置を気にすることにおいて、つねに相手の顔色を窺う奴隷のような存在といえるかもしれない。
結局、スタジオの会話では男が法則に意識的である可能性が排除されていたのだけど、もともと実際の対人関係では、相手が意識的か無意識的かを決定できない。にもかかわらず、それをあくまで追求するとき、まさに夏目漱石の『行人』のような終わりなき疑心暗鬼の世界が展開されてしまう。しかも、そもそも、本命の女(男)が本当に本命であるかどうかなど、当の男(女)にも判らないことは少なくないのだ。
まあ、遊びならともかく、マジで気にしている人がいたら滑稽というか気の毒だ。「恋から」出演者も別に本気でこんな法則を信じているわけではないだろうけど。