「きらきらアフロ」に松嶋を発見、鶴瓶を再発見する

“オセロの白”こと松嶋尚美の魅力はたぶん「きらきらアフロ」で世に知られるようになった。このフリートーク番組は、話の流れをほとんど無視した(ように見える)天才的な跳躍を繰り出す松嶋と、それを見失わないように必死になって網を張る笑福亭鶴瓶という役割分担がある。大先輩が話をふくらませようとするのを突然さえぎり、「あたしさあ」「こないださあ」「あれ、知ってる?」と、まるで邪気のない顔でボールを放るのには驚かされるし、それは鶴瓶ファンにしてみれば「もっと話を聞け」とあきれるところなのかもしれないけど、そんなとき鶴瓶が唖然としながらもほぼ例外なく聞き役に徹するところをみると、いかに鶴瓶が他では見られない「若々しさ」を披露しているとはいえ、「アフロ」の主役はやはり松嶋といわざるをえない。逆にそれ以外の場では、相方の中島知子との絡みも含め、その本領が発揮されてないのではないかと心配してしまう。松嶋の弾けかたにはそのくらいインパクトがある。
さて、鶴瓶は毎度狼狽しながらも、松嶋のはしゃぎっぷりを心底楽しんでいるようだ。孫の話を聞く好々爺といったところだろうか。しかし鶴瓶のそんなキャラクターはいつ獲得されたのだろうか。それはいまはなき「いろもん」での出来事がきっかけだったらしい。芸人が芸人を迎え、芸について語るという、お笑い好きにはたまらないこの番組で、鶴瓶ウッチャンナンチャンとともに司会をつとめていた。そしてその初期において、傍若無人な振る舞いで知られる若手コンビ、極楽とんぼ山本圭壱がゲストとして登場し、芸歴をはるかに上回る鶴瓶の後頭部を思いっきり叩いたのだ。パチンという乾いた音とともに、一瞬硬直する鶴瓶──。
のちに「いろもん2」で再び番組に招かれた山本は「あれは賭けでした」と当時を率直に振り返り、鶴瓶もまたそれを受け、「(その瞬間、)快感のあまり震えていた」と告白することになるだろう。山本の賭けは功を奏し、すでにそのとき鶴瓶は、番組ホストであるにもかかわらず、ほとんど白痴のように笑うばかりで、一言口を挟むさきから、ウンナンから交代した東野幸治今田耕司のふたりにいいようにツッコまれ、ときに足蹴にされ、楽しそうにその肉体をコロコロと転がすようになっていたのである。
芸人はいつしかボケにまわらなければならない。それはツッコミと対比されるところのボケというよりも、単純にいじられ役を回避しにくくなるということだ。どんなに的確で俊敏な反応も歳とともに衰える。またどんな芸人もいつしか“あがり”の状態を受け入れざるをえない。それはたえず若さが求められる芸能界、種々雑多な人間が集まるバラエティにおいてはなかば必然だろう。つまり彼らは独自の老化問題を抱えているのだ。
鶴瓶は1951年生まれ。年寄りと呼ばれるにはまだ早い年令だ。そのぶん、たとえば萩本欽一桂三枝といった、いまだスキを見せることを許さず、仕切り役を自らに課す、戦前生まれの大芸人と比較すると、その転身の鮮やかさがきわだつだろう(とくに欽ちゃんは老いてますます苦しくなってはいないだろうか)。もちろんこれは良し悪しではなく、芸人としての生き方や個性の問題である。ただ私たちは鶴瓶の芸の幅の広さにもっと注目してもいいかもしれない。「いろもん2」で最大限に追求された被攻撃性や、昨年と一昨年の24時間テレビで話題になった大胆な自己放棄(爆睡)はやはり特筆すべきだろう。
「アフロ」の鶴瓶は、それらとはまた異なる路線を見い出しつつあるのか、ときおり“かわいいキャラ”を演じてみせる。それは、女ばかりのスタジオで、猛獣使いに徹する緊張から、唯一解放されるひとときなのかもしれない。少し誇張されたその動きを、松嶋はただ笑って眺めるだけだ。