「身体/人体」をめぐる展覧会

『群像』5月号をパラパラと眺める。表紙のMAYA MAXXが描いた黒い猿と、目次の大胆なデザインが目につく。ADが祖父江慎に交代したのですね。

気になった記事は五十嵐太郎の美術批評(レポート)。パトリシア・ピッチニーニ展、小谷元彦展、映画『イノセンス』、「球体関節人形」展、「人体の不思議」展、イタリアの動物学博物館と渡り歩く。テーマは「科学と芸術」あるいは「身体をいかに表象するか」。私が見ているのは二つだけ。以下、簡単な報告。

ピッチニーニ遺伝子工学の可能性を身体造形に応用しているイタリア人女性作家。人間とも豚ともつかない半獣像が昨年のヴェネツィアビエンナーレでも話題だった。五十嵐氏は実物のほうがはるかにリアルというが、私には写真のほうがリアルに感じた。とくに肉塊と戯れる女のコは撮影用に配された本物だとばかり思っていた。写真というフィルターによって増幅されるリアリティがあるということだろう。逆に、毛穴から皺、産毛までが緻密に再現された実物の作品を目の当たりにすると、リアルであるがゆえに、それが微動だにしないことに違和感を覚えてしまった。あそこまでいくと次は「これが動いたらなあ」という期待に応えなければならなくなるのではないか。何も知らずにそれに遭遇したら卒倒するかもしれない。

現在も巡回中の「人体の不思議」展ピッチニーニ展からぜひともハシゴすべきと思っていた展覧会。半永久的に常温保存が可能なプラトミックという新技術による人体標本がならぶ。予想を上回る入場者数に会期が延長されるほどの人気だったのだが、私が行った日も案の定、超満員。みんな好奇心むき出し。ガラスケースにかぶりつく。正直、人体よりもそっちのほうがグロテスク。まあ、あんなもん、滅多に見られないし、仕方ないか。なかでもひときわ人だかりができていたのが癌(の転移)をテーマにしたブロック。たしかに気になる。癌は死の象徴。黒く変色する臓器は死にリアリティを与える──といっても周囲は死体だらけなのですが……。また、胎児の成長過程を見せるブロックも思わず歩みが遅くなるところ。背後から強引に割り込んできた母娘にカチンとくるが、妊娠三ヶ月くらいの胎児を見つめ、「**ちゃん、そっくり……」となにやら感慨にひたりだすので、ちょっと引いた。最後の展示は実際に触れることができた。標本化(献体)はすべて本人の生前の意志に基づくらしいが、ひょっとして「触れられても良いか否か」というチェック項目もあったりしたのだろうか。だれもがおそるおそる男性全身像に手を伸ばす。ちょっと無気味、でも触りたい、と。しかし大切なところだけはアンタッチャブルなようだった。