ミルコとグルグルマシンの冷たい関係

ここ一、二年、格闘技界の人気者たちがこぞってバラエティに登場し、三枚目ぶりを披露している。ボブ・サップが仮装七変化に挑み、桜庭和志が高速回転グルグルマシンに身を委ね、ヴァンダレイ・シウバが納豆に食らい付き、アーネスト・ホーストが罰ゲームで鼻毛を抜かれる──少し前までは考えられなかったことだけど、そんな事態が本当に目の前で起きている。もっともこのなかの何人か(少なくとも二人)は“お茶の間ファイター”ともいうべき存在なのだけど、ともあれ、そんなことも含め、K-1UFCパンクラスが生まれた1993年に端を発する格闘技ブームは、当初だれも予想しなかったかたちでテレビバラエティとリンクするようになったのではないか。それはアメリカン・プロレスの隆盛とも相関関係にあるのだろう。そんな気がする。
さて、バラエティ番組に出演しながら、このような傾向に頑なに抵抗し、異彩を放っているように見えるのがミルコ・クロコップだ。じつはミルコも、水平方向に高速回転する椅子に座った後、数メートル離れた場所まで歩いて移動し、ダウンタウン浜田雅功に似せられた人形にむけてハイキックを放つというゲームに参加している。ところが、同じ機会にドン・フライ高山善廣、桜庭、シウバらが、椅子から立ち上がるやいなや、ことごとくバランスを崩し、ときに転げ回ってしまうという「屈辱」を味わい、思わず照れ笑いする一方、えらいことにミルコはミルコのままだった。それが彼の常人離れした(?)三半規管の賜物なのか、強烈なプライドによるものなのかは分からない。そもそも正直ミルコの転ぶ姿が笑えるものなのかが心もとないのだけど、いずれにせよそのとき、かっこわるいミルコはお預けとなり、彼が他の選手と一線を画したことに、ファンはひとまず安堵することができたのだ(たぶん)。
しかしこの結果はやはり失望せざるをえない。いったいなぜミルコを出演させたのだろう。なぜミルコは出演したのだろう。これではたんなる顔見せではないか。はっきり言ってしまうと、この選手は露出度の高さ、なによりも強さのわりには、どこか魅力を欠いている。やはりグルグルマシンから降りてコケないようなところが、意外性がないだけでなく、親しみにくく、なんだか人間的に小さく見えてしまうのかもしれない。いや、それとも私のアタマがバラエティに侵されてしまっているのだろうか……?
ともあれ今回のPRIDE GPでの敗戦。ミルコはあきらかにいつもの緊張感を欠いていた。もちろんケビン・ランデルマンの試合運びも誉めておかなければ公平ではないだろう。ランデルマンはミルコの癖を研究していたという。「そろそろ見えない左ハイ、いっちゃおうかな、いっちゃおうかな、いったるで〜! あかん、タックルやん……!」と、その心を読んでいたかどうかは定かではないけど、「させるか、ボケ〜!!」のドンピシャ左フック。「タックルちゃうやん……」と崩れ落ちたミルコは、その夜すぐさま、武士道参戦&敗者復活をDSEの榊原社長に直訴したとか。焦りすぎだ。現金だ*1。こうなると、たとえファンでも、ちょっと感情移入しにくくなってしまうのではないか。今後ミルコ像はどのように再構築されるのだろうか*2

*1:一方、ランデルマンのマイクは対照的だった。「米国人、日本人、ロシア人、クロアチア人……どんな人種であろうと神のご加護があるように。世界平和を祈ります。この試合の前、怖かっただろう、と思われるでしょう。そのとおり、私は怖かった。みなさんと同じように1人の人間です。でも、みなさんのために地獄を見てもいい。そして、また天国を見るのだと思いました。またみなさんのために戦います」http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200404/25/a06.html

*2:どうも厳しく書いてしまったものの、昨秋のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ戦は見ごたえがあったことは認めねばなるまい。結果としてミルコはこのとき、総合格闘技のリングにおいて、はじめてタップする姿を人目に晒すことになった。劣勢を覆し、ワンチャンスを見事にものにしたノゲイラの咆哮。喜びを爆発させ、ノゲイラを祝福するブラジリアン・トップ・チームの仲間たち。けれども一方、それを呆然と眺めるミルコの上気した顔と体には色気さえ漂っていた。負けることなど微塵も考えていなかったにちがいない。敗れてなお美しいミルコ。それは新たな神話の始まりを予感させたのだけど……。