桐野夏生『I’m sorry, mama.』

桐野夏生『I'm sorry, mama.』I'm sorry,mama.の面白さは主人公松島アイ子の面白さでもある。アイ子の育ちはこの現代日本で考えられるかぎり最悪のものだ。アイ子は育ちの悪さを指摘されることをもっとも嫌うが、それは言動から明らかだ。それでもアイ子は幼いころから劣悪な環境ならではの処世術を身に付け、世を渡り歩いてきた。ただし、損得に敏感で、そのための観察力は磨いてきたものの、多少ものまねが巧いほかは人より秀でた能力がとくにあるわけでもなく、社会の底辺を、窃盗や強盗殺人など、その場しのぎの悪事を働きながら生き延びてきた。なんらかの職に就いてきたものの、隙さえあれば、また、都合が悪くなるとその都度、金品を奪い、場合によっては人を殺して逃げてきたようなのだ。
アイ子の犯罪は粗野で計画性などほとんどない。だが、犯行における躊躇のなさ、思い切りの良さが幸いし、容易には足がつかない。アイ子は一見どこにでもいる女で、しかも、危険を本能的に察知する能力を備えている。
斎藤環は桐野との対談において、『羊たちの沈黙』のレクター博士を引き合いに出し、「ためらいや内省がなくて行動だけがある」と指摘している(http://www.shueisha.co.jp/kirino/)。ただし、アイ子にはレクターなどとは比べようもないほど知識も教養も欠けている。何より思考力がない。というか考えることがほとんどないのだ。たとえば、ホテル経営者の豪邸に家政婦としてまんまと潜り込んだものの、素性を怪しまれ、行動を制限されてしまう場面。

「あたし、急いでいるんです。奥様の言い付けでね」
 押し退けようとしたが、強引な力で山瀬が押し戻した。あれ、とアイ子は思った。何かうまくいかないぞ。

近視眼的で動物のような判断力。「あれ、何かうまくいかないぞ」が絶妙だ。こういう人は、目の前で席を譲られても、「あ、席が空いている。ラッキー」と考えるのだろう……。
この場面と前後し、追いつめられたアイ子の動物的行動は、さらに生き生きと痛快に描かれる。

アイ子は驚きのあまり、腰を抜かしそうになった。

あったー、とアイ子は叫んだ。

「畜生!」アイ子は吠え、紙を投げ捨てた。

もはやほとんどお笑いだ。学歴社会に喰らいつきながら、次第に娼婦という仕事に生き甲斐を見いだしていく『グロテスク』の佐藤和恵の壊れ方もすごかったが、そんな余裕を持たないアイ子は始めから絶望的に壊れている。こういう犯罪者像は、いかにも現代的ではないだろうか。ジョージ秋山が漫画化すると面白いかもしれない。