『Number』格闘技特集を拾い読み

『Number』の格闘技特集は総じて、日頃ネットや格闘技専門誌の情報に接しているとおそらく、情報の鮮度が高いとか、コアなファンを唸らせるような新しい視点を打ち出しているとはいいにくいけど、その分、入門者〜中級者向けの総合的で安定した(無難な?)記事を提供しているのではないか。

5月6日発売号の「超格闘争乱 ミドルの魂」はなかなか読み応えのある記事が多い。以下、印象に残った記事と印象的な点。

 シウバに続く精鋭たち
ショーグンによる実弟「制裁」の逸話。
 魔裟斗「反逆のカリスマができるまで」
ヨネクラジムで黙々と練習しながらプロテストを受ける直前に行方をくらませたという。エディ・タウンゼント賞を受賞した川島利彦トレーナーは当時の小林雅人(魔裟斗)の将来性を「最低でも日本チャンピオン」と評している……。その後、キックに転向してからの話はどこかで聞いたことがあるような気がしないでもないし、魔裟斗ってかっこいいなあと素で嫉妬してしまうのだが、実際にかっこいいなら仕方ない(笑)。
 前田日明「ミドル最強論の衝撃」
面白そうな話の入り口は多い。逆に言えば、あれ? これで終わり?と不満。
 高阪剛×松原隆一郎
PRIDEファイターのそれぞれの印象を簡単に述べている。さすがに現役ファイターの見方は興味深いのだけど、これもちょっと食い足りない。
 曙太郎「誰がために戦う」
負け続けても戦ってきた理由を追っている。曙が米国で相撲団体立ち上げを構想している(!)というオチ……これ、周知の事実なのだろうか? 正直、驚いた。記事としてはオチまでを引っ張りすぎという感じがしないでもないけど、曙の人生=相撲人生と考えれば納得。また、まだ現役なのに「じつはファイター向きではない」と漏らすなんて、やっぱり人がいいんだなあ。

ところで、ここでは僕が興味をもった記事だけを取り上げたわけだけど、こうして見ると、やはり『Number』は専門誌に比べると「分析的というよりは物語的」で、「鋭いつっこみを期待する読者寄りというよりは当事者=アスリート(の人生)寄り」であることに価値を見いだしているように見えるなあ。簡単にいえば面白さよりかっこよさ(生き様)を追求している。まあ僕の読み方自体、それをなぞっているところもあり、実際、魔裟斗の記事はそれなりに、曙の記事はかなり充実した情報が盛り込まれている(と思う)わけだけど、今回の場合などはやはり、前田、高阪からもう少し突っ込んだ話を引っ張り出してほしいところ。

もっと言うと、僕は以前から『Number』が確立したスポーツ・ジャーナリズムの功罪があるんじゃないかと気になっているのだ。文芸評論家の斎藤美奈子は『男性誌探訪』実録 男性誌探訪で『Number』スタイルのとっつきにくさを痛快に斬っているけど(参考)、それにしても、いわば門外漢が門外漢なりに斬っているだけであって──そこが面白いんだけど──、スポーツ・ジャーナリズムの理想を提示しているわけではない。まあそんなものがあるのかという話もあるけど、少なくとも沢木耕太郎的文体っていつまでも乗り越えられないのかと素朴に疑問だ。そもそも単純に、ああいう文体だと、描くべき対象や事実の大きさを共有してないとちょっと読んでて辛くなる。「プロジェクトX」だって「そんなもったいぶる話じゃないだろー」といいたくなるとき、あるからな……。*1

*1:重松清が『スポーツを「読む」―記憶に残るノンフィクション文章読本スポーツを「読む」 ―記憶に残るノンフィクション文章讀本 (集英社新書)というスポーツ・ライターについての本を書いているようなのでちょっと読んでみようと思う。