泣けるからっていい映画とは

原チャリで2ケツとか、ラジオ番組の投稿で競うとか、カセットテープでメッセージを交換するとか、ブランコに揺られながら写真館の爺さんの50年の恋について語り合うとか、キスのシチュエーションについて説教とか、懐かしい設定のせつないエピソードや眩しい場面がたくさんあったけど、『世界の中心で、愛をさけぶ』はそんなにいい映画だとは思わなかった。親友の「計らい」により、孤島に置いてけぼりされるはめになりながら、何もせずに一晩を過ごした二人に対しては、アキだってやりたかったろうにと腐してみたくなりつつも、その後それは「結婚式」によって埋め合わされることになって、思わず泣きそうになったけど、それでもそんなにいい映画だとは思えなかった。ようするに長澤まさみは良かったけど、そんなにいい映画だとは……。
この映画を観ながら「泣いたからといっていい映画だと思ったわけじゃない」という別の映画についての友達の名言を思い出した。泣ける話といい映画は必ずしも一致しない。ならばこの映画はなぜいい映画ではないのだろう? と考えながら観ていると「台風が」「台風が」としょっちゅう言っているので、すぐに『台風クラブ』を思い出した。そうか、昔、何度も観た『台風クラブ』こそ、マイ・いい映画のひとつではなかったか、と早速近所のレンタルビデオに行ったけど置いてなかった。そしていつのまにか『蘇える金狼』を借りていた。村川透×松田優作の黄金コンビによるハードボイルドアクションの傑作だ。これも同じように、ビデオで何度も観て、あげくのはてに頼まれもしないにだれかに貸したりした記憶があったのだけど、それは地上波の放送を録画したカットされまくりの一編であったことに気づいた。今回初めてオリジナル版を観たのだけど、やっぱり「傑作」はいいすぎかもしれない……。オリジナル版なのにどういうことだ……? もちろん、猫のようにしなやかに、虎のように獰猛に、画面狭しと躍動する優作と、それを荒々しく大胆に捉える長廻しは必見なのだけど。
セカチュー』の話だった。やはり、長澤まさみに救われつつも、いい映画と思えないのは、そもそもこの映画自体が病気をダシにしているということだけでなく、婚約者の初恋の思い出に付き合わされたリツコって立場ないよなあと思わざるをえないからだ。また、偶然にもアキというつながりを発見したサクとリツコだが、同じ街出身の彼らが、結婚するというのに、そんなことにも気づかなかった、しかもそれ以外の何を共有しているのかもさっぱり見えてこないお粗末なカップルだからではないだろうか。