『空中庭園』

中学時代、「嘘吐きサネ」という同級生がいた。サネはサネユキという名前の略。小柄ながら、中学生にしておっさんのような風貌のサネは、嘘を吐いていることは明らかなのに、それをなかなか認めないという困った奴だった。いよいよ追い込まれると、「いいよ、いいよ、おまえらが納得するなら、おれが嘘を吐いてたってことでもかまわないよ」と驚いたことに、嘘を認めないどころか、自分の度量の広さを誇ろうとする。当然、それを聞かされたほうは苦笑を誘われつつも、怒りを煽られ、「いい加減にしろ」とほとんど本気で胸ぐらを掴んだりする。するとサネは「わかったわかった」と怒りを静めるよう促す。が、ようやく認めるのかと一瞬安心させながら、「おまえらが納得するなら……」とやはり同じ台詞を繰り返すのだ。そんな嘘吐きサネが高校に進学すると、中学時代の同級生を避けるようになった。理由を問うと絶句するような一言が返ってきた。「勘弁してくれよ。おまえらがいるとおれが嘘吐きだと思われるだろ」……。
閑話休題。『空中庭園』の主人公絵里子は、学校でいじめられ、親にも愛されないけど、家にしか居場所がないという高校時代までの冴えない自分を隠し、完璧な家庭を築こうとしている主婦。この映画では、そのように過去の人生をリセットすることによって、封じ込めておかなければならない記憶とは何かが、少しサスペンス調で語られていく。で、最終的には、封印しなければならなかった記憶それ自体が、絵里子の勘違いだったかのように描かれる。これはいわばリセットのリセットで、こんな簡単にリセットできるなら苦労しないよと思わざるをえない。原作は未読だけど、おそらくここまで単純には描かれていないのだろう。
とはいえ『空中庭園』は面白い作品だった。緊張と緩和を行き来しながら、クライマックスまで盛り上げられ、明らかに出産を連想させる雨の場面には「やりすぎだよなあ」と引きつつ、ハマってしまう。このとき流れ出すUAのエンディング・テーマに、家族それぞれの台詞が乗せられていくタイミングがまさに絶妙。豊田利晃監督作は『ポルノスター』はちょっと独善的なつくりでそれほど好きにはなれなかったけど、今回の作品は、少々変則的というか規格外の演出が少なくないにもかかわらず、それと内容とのギャップにも違和感を覚えず、再見したくなる充実度だった。大楠道代のあばずれ感も素晴らしい。