『それボク』と裁判傍聴

リアルそれボ…植草一秀の裁判を傍聴に行こうと思ったんだけど、朝が早いし、傍聴券の倍率が高いらしいので、やめました。というか起きられませんでした……。
閑話休題。『それでもボクはやってない』は逮捕から始まる捜査→起訴→公判という刑事手続き*1のシミュレーション映画として必見ですね。この映画をたんに「(痴漢)裁判もの」といってしまうのは誤解があります。「裁判はゲームであり、別に真実を追求する場ではない」という描き方はよくありますが、日本の司法の形骸化した手続きの実態を、ここまで丁寧に描き、しかも娯楽として成立させた映画は初めてでしょう。これを見れば、「推定無罪」という原則は機能せず、実態は「推定有罪」と言わなければならないことがよく判ります。自分の記憶が正しければ、このことは映画の中の判決文からも明らかです。
周防監督は細部に拘り、写真や映像資料など存在しない拘置所の内部などは、経験者に取材し、色見本を使うなどして、再現しているらしいです。法廷もリアルだし、あのセットは使い回しできたらよさそうだけど。
ところで、この映画には傍聴マニアが出てきます。この無精髭の男は閉廷直後、無実を主張する主人公に「ホントはやったの?」などとニヤニヤしながら耳打ちします。わざわざこういう嫌がらせをする傍聴マニアはあまりいないだろうし、おそらく多くの傍聴マニア自身、この行動を批判するでしょう。
ただし、傍聴マニアが「あれは自分たちではない」と主張するとしたら、それはおかしな話です。他人の裁判を傍聴するというのは、本質的に覗き趣味を満足させようとすることでしょう。これは別にマニアに限らず、報道のふりをしたワイドショーにすぎないもの(最近こういうのが増えている)も同様。まあ、そもそも取材という行為自体が構造的に取材対象に寄生したり、取材対象を搾取するものでもあるんですが。
ともあれ、「裁判が正しく行われているかどうかを監視するのだ」という建前は大事ですが、一方ではやはり他人の人生を「楽しんでいる」ことは否定できないはず。ようするに、物語の前半ではたんなる傍観者でありながら、山場で突然主人公に不躾な言葉を投げつけ、それを機に二度と姿を見せなくなる、あの無精髭の男は傍聴マニアの、そして我々の無意識というべきでしょう。

■追記。宝島社文庫になっているのに「はまぞう」だとリンクされないですね。

裁判の秘密

裁判の秘密

内容(「BOOK」データベースより)
裁判とは、何かを解決したり、損害を回復したり、自分の権利を実現できる制度なのか?これまでタブーとされてきた裁判制度のカラクリを暴く。ベストセラーの復活。