そのうち役立てたい読書(女優・タレント本)
『PLATONIC SEX』一言でいえば不良少女物語といった感じの「自伝的エッセイ」。テレビのキャラを裏切らない。読みやすい。
『ふぞろいな秘密』実名頻出の芸能界裏話的な内容。渡米後の話はいまいち。
『女優の夜』生/性と死を見つめる壮絶な自伝。文章はやや硬いが読み応えあり。
『アッコちゃんの時代』小悪魔で知られる女が、じつはその自覚がないというよくある設定だが、各キャラクターが生き生きと描かれている。「お嬢さん」を尊ぶバブルのころの感覚が新鮮。関係ないけど、この「五十嵐」氏は『TAMORI 3』のプロデューサーでもあるんですね。
『ヘルタースケルター』消費社会の欲望(の仕組み)を極端に描いたマンガ。「スターというものがしばしばきわめて興味深くあるのは、スターが癌と同様 一種の奇形(フェノメーヌ)だからです」。何かの引用かと思ったが、岡崎京子のオリジナルなのか……。
『34 だから、私は、結局すごくしあわせに思ったんだ』「KY」なんて言葉が流行るまえにKY芸人としてブレイクした青木さやかの自伝的エッセイ。これは良い本。いちいちマジメなところが面白い。愉快というより、シンプルかつダイレクトにエゴを曝け出すところに感心する。たとえばこんなところ。
過去に、結婚式に呼ばれたとき、ただただご祝儀がもったいなくて仕方なかったことを友人に謝りたい。結婚とは、焦っている女性と、社会的にした方がいいと感じている男性がするものだと思っていた。もしくはできちゃった婚だ。これ、本気で思っていた。でも、自分が結婚を決め、
「あれ? どうやら違うぞ」
となった時、結婚した友人達に心から謝りたくなった。だから私は何人かの女友達に電話して、ご祝儀もったいないと思ってごめんねと謝って、遅くなったけど、本当に結婚おめでとう、あの時は別に思ってなかったの、と言った。異常だが、皆、私を嫌いにならないみたいだった。
「シークレットシークレット」のビデオクリップ
「Branded Music Video」という企画のひとつらしい*1。菓子の宣伝を兼ねたレトロフューチャーテイストのビデオクリップ。
前奏や間奏の下腕を垂直に立てるダンスが阿波踊りのように見えなくもないが、総じて贅沢に撮られたカットが多い。だれのアイディアなのか、途中「エレクトロ・ワールド」の衣裳*2で「コンピューターシティ」の振付を踊る場面が挿入されている。「ポリリズム」以前の時代の傑作へのさり気ない(?)リファレンス。
冒頭の横顔のカットが美しい。実物よりもブサイクに撮るカメラマンをいちいち呪っていた時代が嘘のようだ。ちなみに『TV Bros.』最新号*3によると「GAME」のジャケは、三人の推薦で『bounce』のときのカメラマンが担当したらしい。あの写真では珍しく三人のいい意味でのアホっぽさがよく撮れていた。
中盤に登場するインチキ臭い司会者の正体はこの方でした。言われないと分からない自分はまだまだです……。
*1:http://natalie.mu/news/show/id/6496
*2:ただし、のっちはヒールの高いブーツを着用。
Perfumeのインタビュー
インタビュー記事としてはおそらく過去最長。スクールや高校での立場やロック的(?)思考など、新しい情報、貴重な逸話(少なくとも自分にとって)もあるが、内容は薄く、読みにくい。もっときっちり編集すべき。テキストを削ってスペースが空いたら水着グラビアだって載せられるというのに…! 文句を云う代わりに紹介。
3人の喋りを上手く再現するのは簡単ではないかもしれない。が、『TV Bros.』の「たちまち、語リンピックせん?」のように毎回、小気味よくまとまっている例だってあるわけだし。
ブラマヨ in ガキ使「天岩戸企画」
二週間前の「ガキ使」。引きこもりの少年をアマテラスに見立てたような設定の例の企画が進化していた。今回は少年がモロッコ人のホームシックの青年に置き換えられ、ブラックマヨネーズの小杉が笑かし役に。ただし、従来とは異なり、そこにガキ使では小杉の陰に隠れがちな吉田が積極的に絡む。小杉が一芸を披露するたびに嫉妬と愛情の入り混じったダメ出しをぶつけ、互いにヒートアップ。しまいには、はたしてアドリブなのか、「ヘリコプター待ち」を「浅はかなテクニック」と断じ、「あそこで学べ」と冒頭のシーンまで引っぱってきた。約20分に凝縮された漫才とコントを組み合わせたドキュメンタリーのような世界。夜の町工場のカットは怪しげで、ブラマヨ用に設けられた奥の空間と、それを監視するカメラなど、新しい仕掛けも効果的。VISUALBUMに収録されてもおかしくないような密度と完成度だった……。
あ〜ちゃんとテクノ
というお題で書こうと思ったけど、長くなりそうだし、Perfumeは「GAME」で次のステージへ行きそうなので、今のうちにメモ程度に。
かつて、あ〜ちゃんは「私たちテクノというのをやっております」と決まり文句のように言っていた。が、この挨拶は最近すっかり耳にすることがなくなった。Perfumeはもはやどんな音楽をやっているのかを、改めて説明する必要がなくなりつつあるわけだ(たんに飽きたのかもしれないが…)。
この際、テクノの定義は問題ではない。重要なのは、あ〜ちゃんとテクノの関係だ。あ〜ちゃんの艶やかで伸びのある歌声は、かしゆかの甘い声、のっちの軽い声より、テクノ向きとはいいにくい。しかも一貫してaikoを崇拝し、たまにアニソンを好きな音楽に挙げるあ〜ちゃんは、おそらくテクノにほとんど関心がない。つまり資質的、趣味嗜好的に、少なくとも他の二人よりもテクノから遠いことは間違いないだろう。「ハウスのハの字も出てこない」*1のも無理はない。極論すれば、あ〜ちゃんにしてみれば、テクノとハウスの違いなど問題ではないのだ。
ところが、数えたわけではないが、これまで「テクノ」という語をもっとも頻繁に使用してきたのは、他ならぬあ〜ちゃんだ。ようするに、あ〜ちゃんはテクノと一定の距離を保っているが、それゆえ、ものすごくテクノを意識しているといえるだろう。かといって、あ〜ちゃんの考えるテクノがなんなのかはやはり不明なのだが、少なくとも他のメンバーと比べると、あ〜ちゃんにとって、テクノがより大きな意味を持っていることは想像に難くないはずだ。
モテたい理由
女性小説家が書く、流行りのモテ本。女性誌の分析を通じて消費社会で強化される恋愛幻想を論じ、男女論、家族論、世代論を展開。「私の男友達がこう言っていた」式の論証や直観的な話の進め方に抵抗を覚えてしまうものの、なるほど、と膝を打ちたくなる指摘もあった。そして冒頭の戦争の話が、最後になんと戦後民主主義論につながってくる。タイトルから想像していたものよりヘビーな本だった。タイトルは少々問題ありだけど、帯コピー「もう疲れたよ…/でも止まれない。/女たちを包囲する“モテ”の真実!」は巧いし、的確。同調して読むと文字通り疲れてしまうのだけど、留学中の著者がアメリカ人美術教師に「あなたは日本語のアクセントをなくしてはだめよ。でないと、あなたの特徴がなくなる。アメリカ人はあなたが英語を話すのも当然に思ってしまうからね」と助言されるという、終章のエピソードにちょっと救われる。アメリカ人に言われるってのがなんとも複雑だけど。
- 作者: 赤坂真理
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/12/19
- メディア: 新書
- 購入: 4人 クリック: 391回
- この商品を含むブログ (133件) を見る
『東京ソーダ水』追加上映
シネマアートン下北沢にて3月15日(土)〜21日(金)。
- 映画『東京ソーダ水』を巡って、モーリー・ロバートソントーク1
- 『東京ソーダ水』『tibetronica』を巡って モーリー・ロバートソンさんトーク2