教育と訓練──「金八」と『ベルリン・フィルと子どもたち』

先週の「3年B組金八先生」はほとんど一本調子の熱血ドラマだった。それを決定づけたのは冒頭の金八の挑発。授業をボイコットされた金八は思案したのか、怒りも落胆も隠して教壇に立ち、戸惑う生徒たちに、したたかに「喧嘩」をふっかけた。動揺している相手にこのやり方が効いたのか、はたして事態は金八の思惑どおりに進んだのだった。終わってみると、悪ガキの伸太郎をはじめとする3Bの生徒たちが、まるではじめからこのような熱血な展開を望んでいたように見えるから不思議だ。まあ、そもそも「金八」とはこういう展開を期待する人が観るドラマなのだろう。「金八」は絶対に絶望させない。絶望的な状況に一縷の希望──といっても今回はかなり「ポジティブな」展開だったのだけど──を見い出すところがこのシリーズの真骨頂ではないか。
ところで、金八の挑発はむしろ部活の顧問に相応しい振る舞いに見えなくもなかった。それは「スクールウォーズ」の有名な場面を思い出させる。あのとき山下真司は、泣きながら「悔しくないのか!?」と何度も呼び掛け、大敗したにもかかわらず、しれっとした態度を見せる部員たちから「悔しいです!」という言葉を引っ張り出していた。この場面は、やる気を起こさせたり、モチベーションを上げためには、魂の触れあいを求めるコミュニケーションが有効だと言っているようだ。現実的にもこういうある種の体育会的な場面はさまざまなところでけっこう見られるのかもしれない。ただし、山下演じるラグビー部顧問が徹頭徹尾熱血である一方、金八はどこか冷静で、金八的教育は「魂が触れあうかどうかはともかく、このようなやりかたがあるのだ」と方法論的に実践されているようにも見える。
ベルリン・フィルと子どもたち』(原題「RHYTHM IS IT!」 http://www.cetera.co.jp/library/bp.html)はフィクションではないけれど、教育のありかた、そして教育は訓練でもあるという事実を考えさせた。このドキュメンタリー映画は、250名の子供たちに6週間で《春の祭典》を踊らせるというプロジェクトを追っている。演奏はベルリン・フィル。ド素人とプロ中のプロという組み合わせだ。残念なことに、この子供たちがどのように選ばれたのかは不明なのだけど、どうやらベルリン在住ではあるものの出身国はばらばら。彼らのほとんどは移民労働者の子供たちで、なかには身寄りのないものさえいる。つまり、文部科学省選定のこの映画は、「社会貢献する芸術」という表向きの抽象的なテーマを抱える一方、下層階級の人間をいかに自立させるかという具体的かつシリアスなテーマを扱っているのだ。
印象的だったのは、やはり振付の場面。振付師ロイストン・マルドゥームは両腕を上に伸ばし背伸びするポーズを指導する際、姿勢はもちろん、目線や表情などを瞬時に的確に把握し、全員の前で次々に「この子は自信がない」「この子はやるべきことは分かっているのに尻込みしている」などと指摘していく。もちろん振付はこのような個々の指導ばかりではなく、全体を秩序づけるための動きが何度も要求され、それに耐えられない子供も現れる。そこでしかし、マルドゥームをはじめとする指導者たちは感情的になることなく──少なくとも僕にはそう見えた──、じつに根気良く子供たちとつきあい、子供たちに徐々に表現する喜び、自己実現する充実感を覚えさせていくという次第。
「金八」はもちろん“学校ドラマ”(学園ドラマというより)であって、『ベルリン・フィルと子どもたち』のようなドキュメンタリーではない。実際の教育現場では、前者のような理想論ではなく、後者のようなリアリズムが求められているはずだ。いや、すでに述べたように、さすがに「金八」もそれなりにリアリズムを導入し、時流に乗ろうという傾向は伺える。その折衷具合が見どころでもあるだろう。相田みつをはどうにかならんのかと思うけど……。