プロレス・スポーツ・(ノン)フィクション

今でこそ状況は多様化しているが、かつてプロレスはテレビ中継なしでは成立しなかった。森達也企画の「ミゼットプロレス伝説」(1992年放送)によると、小人プロレスの試合は、女子プロレスの試合の合間に行われ、全盛期は独自の人気を誇っていたが、「小人を見せ物にするな」という「良識」によるものであろう放送自粛によって、80年代から人気が衰退してきたという。
また、この業界は人材不足にも悩まされていた。「ミゼットプロレス伝説」の取材対象である団体(?)に所属する小人プロレスラーはたったの二人。このドキュメンタリーでは、そのほか、一時引退したものの現役復帰を目指す小人の青年、さらに現役組を応援する往年の名小人プロレスラーたちのそれぞれに焦点を当て、彼らの生活とともに、消滅の危機に晒されている小人プロレスの魅力を内側から描いていく。
小人プロレスはもちろん、他のプロレスと同じであると同時に違うものだ。小人プロレスラーは日々、一般的なプロレスを基礎とした鍛錬を欠かさず、同時に、彼ら独特の容姿や動きをもっとも効果的に魅せる方法を追究している。「われわれは笑われようとしてるのではなく笑わせようとしている」というエンターテナーとして自負が印象的だった。
ところで、すでに述べたのように、小人プロレスはそもそも、女子プロレス(というより「全女」と限定したほうがいいのだろうか?)と密接な関係にあり、両者は興行において互いに支え合っていたようだ。このドキュメンタリーからは、今年4月に解散した全日本女子プロレスの巡業の様子も窺い知ることができる。女子プロレスの舞台裏といえば、同じく4月に解散したガイア・ジャパンの日常を収めた『ガイア・ガールズ [DVD]』が秀作だった。ただし、女子プロレスの過酷さを、もっとも世間にアピールしたドキュメンタリー(?)といえば、バラエティ番組「ガチンコ!」における、神取忍が講師を務めた「女子プロ学院」が挙げられるかもしれない。
僕は別にプロレスに詳しくないのだけど、単純に、現在の格闘技ブームの源流となったプロレス、「底が丸見えの底なし沼」と呼ばれるジャンル(の魅力)とはいったい何なのかを考えるにあたって、こういうドキュメンタリーの存在に興味を引かれる。その点、プロレスファンにとっては常識だろうし、アメプロについてのものとはいえ、『ビヨンド・ザ・マット [DVD]』と『レスリング・ウィズ・シャドウズ [DVD]』はやはり面白い。ちなみに『新アメリカンプロレス大事典―WWE用語のウラ知識!』はよくあるプロレス八百長論を軽々と超えた楽しくつくられた本だった。読み込むほど、深くハマってしまいそうで恐い。
また、漫画ではあるけど、ミスター高橋原作による『太陽のドロップキックと月のスープレックス 1 (モーニングKC)』の連載が中途半端に終わってしまったのは残念。ヒラマツミノルアグネス仮面 1 (ビッグコミックス)』の連載はなぜか中断しているのだけど、再開を期待したい。前者はプロレスの未来像を示そうと試み、後者はプロレスの古典的魅力(だと思う……(^ ^;)を活写している。
ここでまた話がズレるのだけど、プロレスに限らず、何かについて描く(書く)ということは、突き詰めれば、そのジャンル(対象)についての立場を表明することにほかならない。僕は以前『Number』のスタイルについてちょっと批判したけど、重松清の『スポーツを「読む」 ―記憶に残るノンフィクション文章讀本 (集英社新書)』を読んで、『Number』観そのものはあまり変わらないものの、勉強不足を痛感させられた。この本では、スポーツを書く(描く)スタイルの多様性が簡潔かつ鮮やかに示されている。取り上げられているのは、山際淳司沢木耕太郎開高健寺山修司村上春樹村上龍二宮清純梶原一騎水島新司金子達仁小松成美、草野進(蓮實重彦)、ターザン山本吉田豪浅草キッドなど39人。これだけで読みたくなる人も多いのでは?