「あいくるしい」と『曾根崎心中』

死者が蘇ることはフィクションでは決して珍しいことではないのだけど、母親を「再生」させた「あいくるしい」には、さすがに少々度肝を抜かれた。これはそういうドラマではないはずだ。案の定、この「母親」をめぐるその後の展開は、ヒッチコックの『めまい』のようなサスペンスや倒錯はもちろん、新たなドラマが生まれるようなこともなく、家族それぞれが母親の死について再考を促されるばかりで、とってつけたような説教くさいエピソードになってしまった。だれだって、死者が、しかも親しかった人間が生き返ったら驚き、動揺するものだ。ようするに、これは一種のドッキリであって、こんなやりかたで試された真柴家は、作者に文句を言う道理さえあるのではないか。
まあ冗談はともかく、「あいくるしい」のキャラクターはものわかりのいい人ばかりなので、さしたるトラブルが生まれることもなく、そこかしこで事態は「ま〜るく」(笑福亭仁鶴)収まってしまった。やもめとなった竹中直人にはもっとわがままに振る舞わせてもよかったのではないか。恐ろしいほどに爽やかな田中幸太朗が、親友であり異母兄弟である小栗旬の立場を慮り、綾瀬はるかとの関係に水を差すためか、悪い男を装い、いきなり唇を奪ったときは、ちょっと期待が膨らんだけど、この男も結局、爽やかなままで終わってしまった。
当初期待しすぎたのか、こんな中途半端な善人が集うドラマに最後まで付き合ってしまった反動もあり、TSUTAYA渋谷店で増村保造の『曾根崎心中』を借りてきた。増村映画のお馴染みではあるけど、宇崎竜童の腹の底から振り絞るような声がすごい。梶芽衣子のほとんど瞬きしてないんじゃないかという虚空を泳ぐ熱い視線が素晴らしい。なんだこの迫力は。でも、北野武の『Dolls』みたいに様式化されたものは別として、心中ものなんて今どき流行らないか?