『ドラゴン桜』

週刊モーニング』で連載が始まったときは、なるほどこういう手があったかと思った。『ドラゴン桜』は落ちこぼれが東大を目指すというありえない設定と、東大合格の秘訣を説くマニュアル形式である点が目を引く。
日本は学歴社会。お前らは負け犬。低学歴者は搾取される。そんな社会を変えたければ、まず東大に入れ。受験という機会は平等に与えられている……などなど、この漫画は身も蓋もないメッセージをつきつける。日本人には建前としては、そのような現実を否認する傾向があるかもしれない。けれどもたしかに、日本はアメリカほどではないにしろ、明らかに学歴社会だ。そして今のところ、社会秩序を維持するためには学歴社会を基本とする以上に有効な手段はないようだ。ただし機会は平等といっても、これまた現実的には、親の収入と子の学歴は比例するという傾向も無視できないのだけど。
さて、落ちこぼれの受験勉強をどう描くかという問題だけど、この作品はドラマ構造としては、師弟関係を軸としたよくあるスポ根ものだ。師匠は弟子を挑発・翻弄し、弟子は師匠に反発しながら、両者は絆を深めていく*1。ちなみにテレビドラマ版(http://www.tbs.co.jp/dragonzakura/)では、元暴走族の破天荒な弁護士かつ有能な教師を阿部寛が演じている。阿部寛はちょっとしたトリックスターのような役どころがお馴染みになりつつあるのだろうか。ひとりだけ二枚目、みたいなポジションがオイシイ。
ドラゴン桜(1) (モーニング KC)いずれにしても気になるのは、こうして撒かれた非偽善的で現実的なメッセージは最終的にはどう回収されるのか、つまりオチはどうなるのかということだ。合格するのか、しないのか。あるいは玉虫色の決着があるのか。合格するのはリアリティに欠けるので、やはり不合格になるのではないか。結局「不合格だったが、よくがんばった。自信をもて。今回の経験を今後の人生の糧にしてくれ」みたいな体裁のいい教訓に落ち着いてしまう気がしないでもない。たとえそうなったとしても何かひねりがあると面白いんだけど……。僕は受験勉強が軌道に乗ったころから読まなくなってしまったのだけど、連載*2はまだ続いているようだ。

*1:小林信彦『コラムは誘う』によると、『仁義なき戦い』の脚本家笠原和夫は「武道ものや根性ものはいまだに「姿三四郎」のパターンを追いかけている」といったらしいけど、『姿三四郎』以前にこのようなパターンはなかったのだろうか?

*2:『モーニング』読者は受験生よりも世代的に上ではないだろうか。なぜ『ヤンマガ』ではなかったのだろう?