『のだめカンタービレ』と芸術マンガ

のだめカンタービレ(1) (講談社コミックスキス (368巻))のだめカンタービレ』、めちゃめちゃテンポが良くて読みやすいです。ギャグとクラシックの組み合わせも新鮮。のだめは自分のことを愛称で呼ぶような、ある意味イタイ、天然の三枚目だけど、不思議ちゃん的なやらしさがなくて、絵柄も全然媚びてないというか、ようするにふつうの容姿でふつうのギャグマンガのキャラってところがいいですね。
物語的にも導入はギャグで押しつつ、次第にシリアスな要素も採り入れ、読者をハラハラさせながら、なおかつギャグの精神も全然忘れてないところがすばらしい。この笑いと泣きのダイナミックな振幅はほとんど娯楽の鑑だと思います。のだめが音楽に目覚める過程は、少しずつ蛇行するように描かれているので、一見分かりにくいんですが、あせらず急がず、ここまで丁寧に展開を重ねるのはすごい。演奏場面はバランスよく配置されてて、想像をふくらませて実際に聴いている気分になる、というのはちょっとおおげさかもしれないけど、少なくとも実際に聴きたくなってしまう。ともかく、痒いところに手が届いている気持ちいい作品ですねー。
ところでこの作品は、芸術をどう描くかという面では、いささか考えさせられるものがあります。良し悪しはともかく、音大はやはり美大よりも制度に依拠してますね。ここでいう制度とはようするに西洋古典の体系であり、この点、日本の音大は美大よりも強固なシステムに支えられている。のだめの超秀才の彼氏は飛行機と船にトラウマがあるという(ちょっとご都合主義的ではあるものの)人にいえない事情があるんだけど、周囲は当然のように「それだけ才能があるのになぜ海外に行かないの?」と訊ねてくる。海外とはもちろん欧米。クラシックの世界では欧米があくまで本場で、もちろんマンガならではの誇張もあるのだろうけど、彼の地が地続きにとらえられているところが、印象的です。
優秀な美大生にとっても留学という選択肢はあるけれど、そこまでわかりやすいヒエラルキーは存在しないというか、少なくとも見えにくいでしょう。美大はもっとごちゃごちゃしているし、美術は国境を越えるというけど、そこまで単純ではない。実際、たとえば、クラシックやダンス(バレエ)は本場への足がかりとなるコンクールがあるけど、日本の美術界にはそういうわかりやすいステップは存在しない。また、前者はつねに古典に向き合い修練を重ねるものであり、後者は必ずしもそうではないという違いもある。まあ最近の大学事情には詳しくないですが(数年で変わるとも思えませんが)、いずれにしても風通しの違いを感じます。こういう制度や環境の違いが、ある種の通俗的な物語として成立するか否かや、描きやすいか否かにかかわってくるのではないかと。
昴 (1) (ビッグコミックス)国境を越える、といえば、『昴』もダンスの世界を舞台にグローバルに展開していますが、この作品は『のだめ』と違ってヒップホップなどサブカルとの往復も積極的に試みています。美術を現代のストーリーマンガとして描くとしたら結局そういう視点が必要になってきそうです。ただし、じつはそもそもマンガが視覚的表現であることが、逆にネックになってしまうのかもしれません。つまり制度や環境的にはもちろん、表現的にも、音楽やダンスみたいなパフォーマンスはマンガから遠いという点で、一見マンガに近い美術より、ストーリーマンガに向いてるんじゃないか。そんなふうにリトル*1思いました。