イッセー尾形 スタジオライブ

5月14日、NHK芸術劇場で放送。観客のいないスタジオでのパフォーマンスは、ライブというよりもレコーディングのような印象。反響のない密室で行われれば、否応なく一挙手一投足を注視させられ、芸というより芸術を鑑賞するような見方を誘われる。自分にとってイッセー尾形の一人芝居は何年か前にテレビで観たという漠然とした記憶しかなかったが、あのような芸は、いったい、なぜ生まれたのか、どのようにして練り上げられたのだろうか。
ともあれ、とくに印象深かったのは「老婦人 パーティー編」(2003年初演)。放送された5編のうち、唯一、女性キャラが演じられている。尾形にとっては自分とは距離があるキャラクターであるだけに、思い切った人物造型が可能なのかもしれない。松本人志のキャシィ塚本のような、観るものに開放感をもたらすキャラクターだった。ただし、この「老婦人」はそこまでぶっ飛んでいるわけではない。
「なんにもいわないで。あなたがどなただったかは、ちゃーんと憶えてますから…」という、ゆっくりとした第一声から始まるこの舞台は、老婦人がパーティーで偶然出会った自分の子供ほどの歳と思われる男を相手に、ひたすらマイペースで立ち話を続けるという単純な構成。が、単純なだけに、その大胆さと老婦人の微妙な変人ぶりが際立ってくる。
老婦人は、記憶をたぐり寄せる過程で、過去に出会った男についてのさまざまなエピソードを新しい順に想起する。それらは、ことごとく目の前の男とは無関係なことが判明するのだが、老婦人は怯むことなく、ときに「あなたとは関係ないけど、思い出しちゃったのよ…」と言い訳しつつ、思い出話を気持ちよさそうに喋りまくる。「思い出しちゃったから」と断って、思い出話をする人間がいるだろうか?(笑) 本編では老女特有ともいえる、この図々しさと憎めなさをあわせもった困った感じが絶妙だ。そして次々に繰り出される話のチョイスがまた変わっている。
老婦人の話は、途中、何度か途切れそうになりながら、目の前の男が知る由もない時代にまで、どんどん遡る。各エピソード内では、バトミントンの羽、フルート、日傘、本、線香など、必ず何かが落下する場面が登場する。よりによって、なぜ、こんな話ばかりなのか。意識してるのかしてないのか、老婦人はとうとう、あろうことか、自分自身がこの世に“落下した”出産場面を、唐突に、しかし、活き活きと語りだす。「私ね、お産婆さんで生まれたの。そうなのよ。でね、産湯で泳いだんだって、ヤッダー(笑)。そんなこといわれたって、憶えてるわけがない…けど 、そういわれてみれば、体が憶えているような……」と平泳ぎをしながら会心の笑み。と同時に舞台は暗転。……なんなんだこれは?(笑)
イッセー尾形の最近のテーマは「老い」とのことだ。この「老婦人 パーティー編」は老いぼれぶりと溌剌ぶりが共存した快作ではないだろうか。