気分はそろそろ戦争

たしか自分が小学生のときの授業では、戦争とはすでに過去の出来事であり、イラン・イラクなどは、この平和な時代に未だに小競り合いをしている気の毒な国家という、いわば同情さえ受けていたと記憶しているのだけど、昨今では、そのような呑気な気分こそ、もはや過去のものとなっているだろう。
振り返ってみれば、日本国民が──どのような手続きにせよ──戦場に駆り出される条件は、湾岸戦争以後、徐々に、そして確実に整いつつあることがよく判る。だれも望んでいるはずがないのに、そのような状況に置かれるというのも、まったく奇妙な話だけど、これは紛れもない現実だ。
戦争を望む人間が戦争を始めるのは、避けようがないことなのかもしれない。ただし、当然のことながら、ほとんどの場合、そのような人間は実際には戦わないのだ。逆に、煽りに煽られ、威勢よく銃を手にとった人間が、いざ戦地で「騙された」とか「こんなはずじゃなかった」と愕然としてしまうのだろう。滑稽かもしれないけど、これは別に冗談ではない。
気分はもう戦争』にはたしか、日ソ国境近くでやんちゃに振る舞う日本人の若者が(ソ連兵に?)狙撃され、自分の身に起きた事態を把握する間もなく死んでいく場面があった。このマンガは戦争をリアルに考えられない世界でこそ現実的であったわけで、あいにく手元にないので確認できないが、大友克洋流の完成度の高い、乾いたユーモアも、今読むとまた違う印象をもつに違いない。一方『あの日を忘れない―描かれた東京大空襲』に収められた「戦争画」は、ほとんどが素人によるものであり、たいした技術が使われているわけでもない。にもかかわらず、このリアリティはいったい、なんなのだろうか。

気分はもう戦争 (アクション・コミックス)

気分はもう戦争 (アクション・コミックス)

あの日を忘れない―描かれた東京大空襲

あの日を忘れない―描かれた東京大空襲